今回、読んだ本は、愛とためらいの哲学(著者:岸見一郎、PHP研究所)。
あなたは、人を愛すことについて考えた事はあるかな?
50代の私が『愛』とか、ちょっと気持ち悪く思うかもしれないけれど、この本「愛とためらいの哲学(著者:岸見一郎、PHP研究所)」を読んで、感じたことを素直な気持ちで書いてみたいと思います。
恋愛は対人関係の一つに過ぎない
読んだことがある人は多いよね。
「嫌われる勇気–自己啓発の源流「アドラー」の教え(著者:岸見 一郎、古賀 史健、出版:ダイヤモンド社)」
その中に課題の分離というものがあるけれど、好きになった相手に、愛して欲しいって思っても、それは相手が決めること。だから、自分は愛される努力をするしかないよねってやつ。
ま、当たり前の話なんだけど。
「愛とためらいの哲学」の前半では、恋愛・結婚がうまくいかない事例が続きます。
自分と相手の関係だから、正しく対人関係と言えます。とすれば、課題を分離して考えれば、恋愛の悩みも解決するじゃありませんか!
でも、本を読み進めると、そう簡単な話じゃないってことがわかります。
愛は求めるものではなく与えるものというけれど・・・
恋愛に限らず、相手に見返りを求めてしまう事はあるよね。
例えば2人の記念日。思い出を共有しようとイベントやサプライズを考えたり、プレゼントを用意したり。
その見返りとして、単純に喜んで欲しい、自分のことを愛し続けて欲しい。とか。
課題を分離して、相手がどう思うかは相手の課題だからと考えるのをやめて、喜ぶかどうかはわからないけど、自分がやりたいサプライズイベントを実行!そしてプレゼントを貢ぐ。
そういえば、昔、「みつぐくん」なんて言葉があったよね。でもこれ、絶対、見返りを求めているじゃないですか。
相手の反応を期待しないなんて無理だもん。一方的に与えるだけの愛で自己満足して、相手のことを考えないのは、やっぱり恋愛とは違うような気がする。
嫉妬をせずに愛せるか?
相手のことを思う。
何を?それは相手の幸せを。それが愛。
相手が別の誰かを好きになっても、別の異性と関係を持ったとしても、相手の幸せを望むならそのことを責めてはいけない。
この場合にあっても、相手の幸せを望む選択をすることが愛なのである。
でも、嫉妬しちゃうよね。絶対。
相手の気を惹きつけるものを持つ別の誰かの存在によって、パートナーがパートナーでなくなるかもしれない。
そう考えると、たまらなく苦しくなるのは私だけではないと思う。
本の中で、嫉妬するのは自分に自信がないからだということも書かれています。
確かに私は自信がない。今は愛されていると実感を持てたとしても、自分よりも魅力を感じる別の誰かが現れて、相手が、その別の誰かと幸せになることを選択するかもしれない可能性を考えてしまう。
そんな存在するかしないかわからない別の誰かに嫉妬するなんて、馬鹿な話だと、わかっているんだけどね。
まとめ:「愛し方」の実践方法
本の終盤には、「愛する技術」として実践方法が書かれています。
その中で、無条件で信じること、相手に関心を持ち続けること、この二つが特に必要なのかな、と思いました。
相手の事を信頼し、信じられる根拠がない時でも相手の事を信じる。
相手の愛を疑ってはいけない。どんなときでも相手の事を無条件に信じること。
そして、相手の全てを知ることはできない。そんな未知の相手に対して関心を持ち続けること。無関心にならないことと言ってもいい。
恋人や夫婦となっても、自分と相手は異なる価値観を持っていて、互いに知らない面がある。
わかったつもりになってはいけない。
本のタイトルに哲学と入っているとおり、著者の樺沢先生の考察ということになるのでしょうが、アドラー心理学やニーチェの言葉などを引用して説明されている内容は、「そのとーり!」と思わず叫んでしまうものでした。
自分が幸福になりたいと思うのはもちろんのこと。
パートナーと一緒に幸福になりたい。
恋愛には至らなかったけど、愛した相手には幸福でいて欲しい。
そして、周囲の人たち、みんなの幸福は願えないけど、せめて親しい人たちには幸福でいて欲しい。
会社の同僚、友人、家族、距離感は違っても「愛情」を持って毎日を過ごしていきたい。
この本、愛とためらいの哲学(著者:岸見一郎、PHP研究所)を読んで、愛する事と愛されることについて、深く考える機会を得たことは、これからの「愛し方」を一変させるほどに参考になりました。
これからも「愛」ちゃんと考えていきたい。
では、また。