📘第8話「異動、そして崩壊」
前回までのあらすじ
病に倒れた茅場が退職した。
他にも2名が退職し、7名いた営業第2課は4名となってしまった。その結果、月間目標を初めて落とした。
黒木は、倍の仕事をしろというが、ムリだ。とっくに限界まで働いてる。
人手不足であることは明白だった。会社は営業第1課から飯塚主任を移動させることにした。
その飯塚が大波乱を引き起こすことになるのだが…。
俺は、茅場の妻と話して、何のために働いているのか、その事が気になっていた。何のために。誰のために。
だから、黒木に嘘の報告をして仕事を抜け出し、フリーでカウンセラーをしている凛と会う約束をした。
凛は定食屋桐谷の常連客で、華の親友でもある。
凛なら、俺と華との関係についても的確なアドバイスが期待できるはずだ。
だが、その場には華もいた。それも、かなり怒っている様子だ。
ちゃんとした相談ができればいいのだけど・・・。
8-1 俺の抱える問題
俺たちは、居酒屋の奥の方にある4人掛けのテーブル席に座っていた。
席と席の間は割と近くて、隣で飲んでいる会社帰りのサラリーマンがこぼす愚痴がはっきりと聞き取れるくらいに近い。そして、平日の夜と思えないくらいの込み具合で、どちらかといえば店内は騒々しかった。
さて、俺が今日、凛に相談しようと思っていたことが二つある。
①華との関係を今よりも良くする方法
②プライベートな時間が作れない今の仕事は転職するべきか
俺は、テーブルの向こうに並んで座る華と凛の顔を交互に見ながら、聞こえるように、少し大きめの声で話し始めた。
「俺が凜ちゃんに相談したいこと、実は二つあるんだ。一つは、華とのことなんだけど、もう一つは仕事のこと。先に華とのことについて聞いていいかな?」
「どうぞ」という凜のジェスチャーを見て話をつづけた。
「今の俺は、仕事を休めないし、残業続きで夜も遅い。なのに、営業成績がいいわけでもなくて。だから、一緒に過ごす時間を作ってあげられそうにないし・・・。そんな時に華に告白してきたっていう男を紹介されたから、愛想をつかされたんじゃないかって・・・。」
華の肩が怒りに震えているように見えるのは気のせいだろうか?
「なんとなく予想はできてたんだけどさ、誠さんに問題がありそうだね」
凛はテーブルの上に並んだおつまみに手を伸ばしながら言った。
「華ちゃんに”振られた”とか、”嫌われた”とか思ってるんじゃない?華ちゃんのこと、ちゃんと見えてる?」
「?」
凜が何を言おうとしているのかわからなかった。それに、華がこんなに怒っているのはなぜなんだ?
「誠が私の気持ちや考えを勝手に決めつけないでよ。誠のばーか。なーんにもわかってないんだから!」
華は片肘をついて、相変わらず、真っ直ぐ俺の目を見て言った。そんな華をなだめながら、凛は話を続けた。
「たぶんだけど、仕事の悩みも根っこは同じなんじゃないかな?」
「誠さんは、努力の仕方が間違ってるんだよ。”時間の長さ=努力の大きさ”って思ってるんじゃないかな?」
「それに、他人の評価を気にし過ぎなんだと思うよ」
凜は、たとえ話を交えながら、わかりやすく説明してくれた。
要約すると、
・一緒に過ごす時間の長さ=愛情表現の大きさ
・仕事に費やす時間の長さ=仕事に対する努力の大きさ
どちらも相手や周囲の人に対して、自分はこれだけの時間を費やしている。だから、自分の努力を認めてもらいたいという『承認欲求』に囚われている。
そして、相手や周囲の人が認めてくれるまで時間を使おうとするが、1日は24時間しかない。どこかで時間が足りなくなるのは当然であり、必然なのだ。
その結果、『時間が足りない=努力を認められない』と思い込んでいるんじゃないか。と言うのが、凛の指摘だった。
「それとね、他人から認められるって、他人の価値観に合せるライフスタイルだから、辞めた方がいいよ」
凛は、”嫌われる勇気”という本を、もう一度読むように勧めてきた。
「俺、他人の評価に臆病になっていたのかな。それで、俺はこれからどうしたらいいのかな?」
すかさず華が答えた。
「もっと自分がどうしたいのか言ってよ!」
凜は、「華ちゃんの言うとおり!自分の事は、自分で決めなさい!」と。
ごめん。アドバイスありがとう。
帰ったら、『嫌われる勇気』を読んでみるよ。
8-2 働き方の選択
朝7時を回って、営業第2課には、俺、黒木、田村の3人だけが出社していた。飯塚と青島はまだ出勤してきていない。
黒木は今日もイラつく感情を隠すこともせず、何度も飯塚に電話しては留守電に「電話をよこせ!」と、わざとらしい程の低い声でメッセージを残して受話器を叩きつけていた。
「三島さん。飯塚主任と青島さん、どうしたんですかね」
田村が小声で聞いてくる。
「飯塚主任はわからないけど、青島は辞めちゃうんじゃないかな。この間、うつ病だって診断を受けたって言ってたし、本人も本当につらそうにしてたからな」
飯塚は、初日に黒木から怒鳴りつけられたが、それでも定時にこだわるようだ。そして青島は、うつ病と診断されてから休みがちになっている。
「田村くん、今日は黒木課長と同行の予定だったよね。準備は大丈夫?」
田村は同行先に持参するプレゼン資料を見返し、「大丈夫です」と返事を返すが、その表情は硬い。イライラしている黒木と同行することを考えると、この表情は仕方がないだろう。俺だっていやだし。
もう間もなく8時という頃になって、やっと飯塚が出勤してきた。
「飯塚ー!何回も電話してるのに、なんで電話に出ないんだ!それに電話をよこせと留守電も入れた。なんで電話してこないんだ!」
黒木の怒声が事務所内に響き渡った。黒木は席に着こうとする飯塚に歩み寄り、応接室へ連れて行った。
残された俺と田村は、不穏な空気が満ちる事務所に取り残された。
二人は30分も経たずに事務所に戻って来た。黒木は戻るなり、「田村、行くぞ!」と言って、さっさと事務所を出て行った。田村が慌てて跡を追っていく。
事務所には俺と飯塚だけになった。
何があったのか聞くチャンスだ。俺は飯塚に黒木と何を話したのかを聞いた。
「就業時間以外のプライベートについて聞かれたんだよ」
飯塚はちょっと困った表情を浮かべながら答えた。
「聞いてもいいですか?」
俺の質問に飯塚は答えてくれた。
「俺、夜は駅前のバーでバーテンやってるんだよ。だいたい1時頃までだけど。だから朝は起きれないし、飲まされた翌日は二日酔いにもなるしね」
正直、驚いた。そんな素振りは全然見えなかったからだ。
「副業してたんですね。でも、それって、結局、働いているわけだし、だったら残業した方が成績が伸びるし、会社での評価も上がるんじゃないですか?」
プライベートな時間を何に使おうが本人の自由だ。そんなことはわかっているが、俺はあえて聞いてみた。
「この会社やこの業界のことしか知らないんだなって思う出来事があってさ。バーにはいろんな業界のお客さんが飲みに来て、いろんな話を聞かせてくれるんだ。俺の世界観を広げてくれるんだよ。だから、仕事じゃなくて、もう趣味みたいなものかな」
「三島くん、世界は広いし、いろいろなものがある。だけど、時間には限りがある。自分が興味あること、やりたいことは、今、やらないと一生できないよ」
俺は、飯塚の話を聞いて、居酒屋で華に言われた言葉を思い出していた。
『もっと自分がどうしたいのか言ってよ!』
なるほど。俺はすっかり黒木の支配下となって、単なる道具になっていたのかもしれない。
8-3 魔王の降格
翌日、黒木の態度が明らかにおかしい。
この日、飯塚は6時どころか、定時を過ぎても出社してこない。なのに、黒木は飯塚に電話を掛けなかった。
昨日、黒木と飯塚の応接室でのやりとりで何かあったに違いない。飯塚に何があったのだろうか。
その答えは、大事件となって会社中に知れ渡ることになった。
飯塚は出社しなかったのではない。まっすぐ本社役員室にいる白石取締役のもとへ向かったのだ。
何をしに?それは退職届と共に内部告発するためだった。
飯塚の告発を聞いた白石は、緊急役員会を開き、黒木を招集した。
合わせて人事部から営業第2課へ実態調査へ向かうように指示していた。
だから、今、俺の目の前には人事部からやってきた間宮が座っている。
「三島さん。営業第2課の皆さんのタイムカードなんですけど、自分で押してますか?」
「はい。自分で押してます」
「黒木課長が着任する前は、出勤と退勤の時間にばらつきがあったのに、黒木課長の着任後、全員がピッタリ同じ時間って言うのは、課長からの指示があったんですか?」
間宮の追及は、淡々としていた。見た目の印象と同様に冷淡な感情の持ち主を思わせる。
「三島さんは自宅を何時に出て、何時に帰宅していますか?」
「自宅では何をしていますか?」
「最近、休日にどこに行きましたか?」
間宮の質問は、なんの感情も無く機械的にプライベートな内容にまで及んだ。
俺は「私生活まで答える必要はない」と断りたいところだったけど、適当なことをでっちあげて答えておいた。
「質問は以上ですが、実のところ、タイムカードは佐倉さんが押してるんですよね?彼女には確認済みです」
余計な誤魔化しは必要なかったらしい。飯塚の内部告発で大まかに把握をしていて、タイムカードの偽装については、既に裏付けまで取られていたのだった。
「・・・全部、知ってるんですね?」
観念して答える俺に、間宮は「はい」とだけ短く答えた。
この日、営業第2課が24時間年中無休という営業姿勢で、しかも言葉通りに実践されているということを全社員が知った。
そしてもう一つ。黒木の課長解任と森川専務の左遷という処分が通達された。
飯塚の退職と内部告発は、その日のうちに大騒動を起こし、組織改革を強要するものとなった。
8-4 残業がなくなった夜
緊急役員会から戻った黒木は、課長の任を解かれ、主任へ降格となっていた。その表情は、特に落ち込んだ様子を見せるでもなく、怒りを表すでもなく、どこまでも淡々とした口調で俺と田村に話した。
「もう知っているとは思うが、飯塚が退職した。青島も復職は難しいと言う話だ。営業第2課は、新しい人員を補充する事になるんだが、俺は課長を降りる事になった」
「今日、人事部の奴が来ていただろう。それで、今日から、残業は一切禁止となった。定時から30分以内に退社するようにと指示があったから、これに従うように。以上だ」
最後まで物静かに言い終え、黒木は机の中の私物(といっても大した量ではなかったが)を元茅場の席へ移し替えた。
手伝うべきか迷ったが、『哀れみなどいらん!』とか言いそうだから、そっとしておいた。
そして、定時を回ると、黒木は、およそ通勤時にそぐわない、分厚く膨らんだ鞄を持ち、本当に帰ってしまった。
(あの鞄の中身、一体何を詰め込めばあんなに膨らむんだ?)
「三島さん、帰っていいんですよね?」
定時を過ぎたと言っても、午後6時にもなっていない。外はまだ明るかった。田村が不安そうに聞いてきた。
「そうだな。帰れという指示だから、俺たちも帰ろうか」
PCの電源を切り、二人で戸締りをして会社を出た。
会社からの帰り道。商店街には大勢の買い物客が行きかっていた。最近は深夜の商店街しか見ていなかったから、ぶつかってしまいそうになるほどの買い物客が煩わしく感じる。
買い物客と帰宅途中の会社員が往来する商店街を抜け、俺が住むアパートが見えてくるころになっても、空にはまだ明るさが残っていた。
(残業がないと、毎日、こんなに明るい時間に帰って来れるんだな)
これまでよりも早く帰れる事に、ちょっと得した気分になった。いつもより長く確保できる睡眠時間。就寝するまでの時間もたっぷりとある。長めの風呂にでも入ってのんびりと映画でも観ようか。
しかし、なぜだろう。同時に後ろめたさや罪悪感を感じてしまう。定時で仕事を切り上げて、今日一日頑張って働いたという達成感が足りないというか・・・。
「はぁ。他人から与えられた自由に飛びつきよって、情けない。自分で勝ち取っておらぬから後ろめたさや罪悪感を感じるんじゃろうが」
突然、頭の中に声が響いた。この声は、女神様?
「まったく。元魔王の支配力の低下を感じて様子を見に来てみれば、お主自身は支配されたままではないか」
女神様が呆れたような口調で話している。
「どういう事ですか?残業が禁止になって、元魔王の黒木は課長から降格させられて、一見したら元魔王の敗北って感じじゃないですか?」
周りから見ると独り言にしか見えないから、なるべく小声で答えた。
「勝者がおらぬ。自らの意思で動く元魔王と他者から与えられた時間に生きるお主では、勝負にもならんじゃろう。お主は試されているのではないか?」
俺は女神様の言ってることに合点がいかず、もっときちんと話せるように家路を急いだ。
次回予告
以前、誰かが話していたのを聞いたことがある。
「文化的な生活」
決まった時間に働いて、風呂に入り、食事をする。読書したり趣味を持ったり誰かと交流したりしながら、充分な睡眠時間も確保する。そして週に二日、きちんと休む。
今の俺はそんな生活を送っている。
けれど、本当にこれが、俺が望んだ自由なんだろうか?
「お主は、何ひとつ自分で選んでおらぬな」
女神様は言った。与えられた自由は、ただの空白なのだと。
では、俺が本当に欲しかったものは何だったのか?
働くとは、自由とは、そして、幸せとは何か?
次回、第9話「ライフスタイルの選択」
更新予定:7月9日(水)
お楽しみに!
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