📘第9話「ライフスタイルの選択」
前回までのあらすじ
飯塚の内部告発によって、営業第2課のタイムカードの偽装行為が発覚した。それだけではない。24時間年中無休という働き方も大問題となった。
労働基準法を無視しているのだから、問題になって当然の話しではあるのだけど。
緊急役員会の結果、黒木は降格し、黒木をヘッドハンティングした森川も地方へ左遷された。そして、白石取締役によって、全社員の残業禁止が言い渡された。
定時で退社すると、辺りはまだ明るいし、商店街には買い物客も大勢いる。見慣れた帰り道ではないみたいで落ち着かない。しかし、これが本来の帰り道の風景なのかもしれない。
そう思っていたところに女神様の声が聞こえてきた。
「他人から与えられた自由に飛びつきよって、情けない」
女神様に言わせると、俺は自由を選択できていないらしい。
いったいどういうことなのだろうか・・・?
9-1 働く理由は「お金」じゃないの?
独り言を呟きながら歩く自分の姿を想像してみた事ある?イヤホンで通話しながら歩く人を見ると、違和感を感じるのは俺だけかな?今の俺はイヤホンすら使用していない。違和感は半端ないだろうな。
自宅アパートは直ぐそこに見えている。俺は、急いで自宅に帰った。玄関の扉を閉め、姿の見えない女神様に向かって話しかけた。
「女神様、さっきの話なんですけど、俺がまだ支配されているとは、どういう事ですか?」
元魔王の黒木は課長から主任へと降格し、長時間労働も無くなった。雇用契約による就業時間を除けば、あとはプライベートな時間だ。明らかに仕事から解放されている。俺は自由な時間を手に入れているじゃないか。それなのに、まだ支配されていると言われるのは心外だ!
「わからないか?お主は他人から与えられた時間の中で、与えられた目的のために過ごしているという事を」
与えられた時間?なんの話だ?俺には理解できない。
「つまり、お主の目的がどこにもないと言っているのよ。なんのために働き、なんのために休むのか。そしてどこを目指して生きているのか。そういった目的が感じられん」
「目的も何も、生活するためにはお金が要ります。お金を稼ぐために働く。それは、立派な目的なんじゃないんですか?」
「今のお主は奴隷と同じだな。人生の時間を無駄にしよって…情けない」
女神様は、あからさまに落胆してみせた。
「よいか。生存していくために、確かにお金は必要だ。食事も衣服も住居もタダではないからな。そして、社会生活を送るうえでも必要となる。人は皆、生存するという目的のためにお金を求める。ここまでは良いな?」
「はい」
「では、生存するだけで満足か?」
「・・・」
「だから、お主は社畜と言われるんじゃないのか?」
女神様の言うことに反論できなくなった。
「その点、元魔王はしっかりとした目的、信念を持っている。今は一時的に支配力が弱まっているが、より強力になって戻ってくるかもしれない」
「生存を欲するのは、本能でしかない。本能のままに生きるとは、一見格好良く聞こえるかもしれんが、自分の人生を自分らしく生きる事から逃げているに過ぎん!」
「奴隷のように社畜として生きるのか、自分の手で望む未来を創り上げるのか、目的を持って選択せよ!」
選択しなければならない事はわかった。しかし、何を目的にしたらいいのか?
「女神様、俺は、具体的に何をすれば良いのでしょうか?」
俺には具体的なイメージが思い浮かばなかった。だから、何かヒントが欲しかった。女神様の答えは、
「お主に限らず、人々は皆、自由だ。具体的に何をするのか?その目的も答えも全て、自らが選択するものなのだよ。人生とは、選択の連続。残酷に聞こえるかもしれないけれど、それこそが自由なのだから、よく考えて選びなさい。人生は支配されていいものではない。自分の人生は自分で選びなさい」
そして、女神様はいなくなった。
9-2 落ち続けるモチベーション
黒木が降格し、営業第2課の課長は、ひとまず営業第1課の課長が兼任することになった。しかし、人員の補充はままならず、俺と黒木、田村の3人で営業第2課の売り上げ成績を作らなければならない状況が続いた。
人も少ないが、かけられる時間も半分以下になったのだ。当然、成績も半減していた。
もっとも、黒木が課長だった頃の俺たちが、本来の就業時間の倍以上の時間を働かされてきただけなので、本来の成績に戻ったと考えてもいいと思うが。
そんな中、黒木だけは俺や田村の倍以上の成績を上げていた。それどころか、会社内の個人成績で断トツのトップだった。これが、女神様のいう信念の違いなのだろうか。
「三島さん。俺、今月やばいです。1件の契約も取れずに終わりそうです。三島さんはどうですか?」
12月の第1週目、田村が相談してきた。
「俺の方は見込み通りにいけばノルマは超えるけど、微妙かな?」
正直なところ、手応えのある案件はなかったが、新卒の田村に弱気な姿は見せられない。大見得を切ってしまった。
「それにしても黒木主任は凄いですね。課長だった時よりも時間は短くなったのに、逆に成績は上がってますもんね」
そうなのだ。黒木は俺たちとの同行が少なくなった分、自分の仕事に集中出来るようになったためか数字を伸ばしているのだ。だが、それだけでは説明がつかない。俺たちと同じく半分以下の時間しか働けていないはずなのに、成績が落ちないなんて、信じられない。
「契約の件数なんて、3人分くらいの数をこなしてるんじゃないですか?」
「そうだよなぁ。陰で何か努力してるってことなんだろうなぁ」
俺は、ふと飯塚の事を思い出した。
定時で帰った後、趣味みたいなものと言いながらバーで働いていた。もしかしたら黒木も定時で帰った後、働いているのか?
「なぁ、田村くん。以前いた飯塚主任の事、覚えているかな?定時で帰った後、バーでバーテンしてたらしいんだけど、まだ、続けていると思うから、今夜、行ってみないか?自分の意思で時間外まで働くモチベーションについて話を聞いてみたいと思うんだけど」
時間外まで働く事を望んでいるわけではない。なぜ、そこまでして働くのか?働けるのか?その目的を聞いてみたいと思った俺は、田村を誘って、飯塚に会いに行ってみることにした。
9-3 仕事は場所を選ばない
飯塚から駅前のバーでバーテンダーをしている話を聞いた時、店の場所は聞いていた。あれから暫く経つが、飯塚はまだいるだろうか。
俺と田村は店に入り、正面のカウンター席に腰掛けた。
床から足が離れる程の高さのある椅子に座っていると、居酒屋とは違う居心地の良さを感じる。たまにはバーで、飲むのもいいな。
カウンターの中のバーテンダーは飯塚ではなかった。飲み物を頼むのに合わせて聞いてみると、飯塚の出勤時間は、いつも遅めなのだそうだ。
俺は、田村の仕事の愚痴を聞きながら、飯塚の出勤を待つことにした。
ふと、店内を見渡す。広さはさほどではないが、奥にテーブル席が4席あった。時間が早いせいか、客の入りはまばらで、空席が目立つ。
そのテーブル席の一つ、1番奥にある席に、よく知った顔をみつけた。黒木だった。
急いでカウンターの方に向き直るが、多分気付かれているだろうな。
もう一度、そっと黒木の方を見てみる。テーブルの上にノートPCとやや分厚いファイル、そして電卓が置かれ、まるで会社の黒木の机を持ち込んでいるかのようだった。
俺は、田村にカウンター席で待っているように言って、黒木がいるテーブル席に向かった。
「三島もこの店に来るのか?奇遇だな」
黒木はテーブルの上に置いたノートPCから目を離さずに言った。
「もしかして、定時に会社を出た後は、こういう店で残業を続けていたんですか?」
黒木は「まあな」とだけ答えた。
俺は、飯塚と会えたら聞こうと思っていた事を黒木に聞いてみることにした。
「なぜ、そんなに仕事をするんですか?」
相変わらずノートPCから目を離さない黒木は、俺の質問の意図を瞬時に理解したようだった。
氷が溶け切ったグラスのウイスキーを一口飲んで、ようやく顔を上げ、怪訝そうな表情を見せる。
「好きな事をするのに理由が必要なのか?」
そう言って、またノートPCに向き直り、資料作りの続きに取り掛かった。
黒木は元魔王だ。ここで言っている好きな事とは、この仕事のことではないのだろう。おそらくだけど、他社より上に立って支配することが好きということなのかもしれない。
俺は、飯塚の出勤を待たずに田村と店を出た。
9-4 バケットリスト
京王線府中駅の南側、大國魂神社の前の旧甲州街道は、大勢の参拝客で賑わっていた。
1月2日。初詣に行く約束をしていた俺と華は、大鳥居の前で待ち合わせた。
「明けましておめでとう」
マイペースな華は、待ち合わせの時間に30分遅刻してもお構いなし。時間通りに来ないのはいつものことなので、俺も気にしない。
「それじゃ、行こうか」
参道の人込みにベルトコンベアで運ばれる荷物をイメージして、思わず尻込みしそうになるが、気を取り直して突入だ。
「誠は仕事の方はどうなの?」
参道をゆっくり歩きながらスマホで何やら調べものをしていた華が聞いてきた。
「先月は全然だったよ。年明け早々に本社に呼び出されてるんだ」
年末の仕事納めの時、成績不振者は新年の仕事始めの日、本社に出社するよう通達されていた。営業第2課の俺と田村は、その成績不振者として呼び出されている。
「相変わらず忙しいんだね。先月はお店にもこれなかったものね」
残業は禁止されているから、定時で上がった後、定食屋桐谷に行く時間はいくらでもあった。だけど、俺は行かなかった。
「ごめん。忙しかった訳じゃないんだ。残業しなくなった時間の使い道を考える時間が欲しくてさ」
「何もないの?やりたい事。誠、趣味とかないの?」
なんだろう。華に呆れられてるっていうよりも馬鹿にされた気がする。
「俺にだって趣味くらいあるよ」
「だったら、その趣味の時間にすればいいじゃん!」
俺は、趣味は有ると答えてはみたものの、実のところ、これといって続けている趣味はなかった。
「ねね。ところでさ、バケットリストって知ってる?」
「バケットリスト?」
華のスマホを覗き込むと、バケットリストについて紹介されている記事が表示されていた。さっきからスマホで調べていたのはこれか。
「生涯でやりたい事をリストにするの。良いと思わない?で、達成できたやつは横線で消していくの。なにかの映画でもやってたよね?」
そういえば、そんな映画を一緒に観た覚えがある。
「いっぱいありすぎて困る〜。あ!でも私、今年中に自分のお店を出したいんだぁ。まずは、これかな!」
「そうか。自分の店を出すのが夢だって前から言ってたもんね。華はしっかりした目標があって凄いね」
華が自分の店を持ちたいという話は、付き合い始めた頃から聞いていた。7年越しの夢がいよいよ実現するのか。
「俺に手伝えることがあったら言ってよ。全力で応援するからさ」
満面の笑みで未来の夢を語る華を、俺は応援したい。その気持ちは本当だけど、一方で俺だけ取り残されているような気になって、少し寂しくも感じる。
「華・・・?」
参道の人の流れを追い越す勢いで歩いていた華が立ち止まり、両手で持ったスマホをポケットに押し込み、もじもじしている。
「誠。あともう一つ決めていることがあるんだ。後で話すつもりだったんだけど・・・」
さっきまでの笑顔が消え、うつむいたかと思ったら体ごと俺の方を向いて真っすぐ目を合わせた。そして・・・
「私と別れて。それで、友達からやり直して・・・ごめんね」
「・・・え?」
参道の真ん中で立ち尽くす俺と華を避けて人込みが流れていく。俺は、俺の目を真っすぐ覗き込む華から目線を逸らすことができず、華の言葉を頭の中で繰り返す事しかできなかった。
次回予告
世界の中心にいるのは、自分であり、他人である。
俺は俺の人生を選択し、華は華の人生を選択する。俺と華が別れたのは、ただ、それだけのことだ。いつかまた、交差する瞬間もあるだろう。その時は、共に歩む人生の選択をすることができることを祈ろう。
ところで、俺は、ちゃんと人生の選択ができているんだろうか…?
次回、第10話「責任の取り方」
更新予定:7月16日(水)
お楽しみに!
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