📘第11話「異なる価値観」
前回までのあらすじ
営業マンは成績が命だ。それなのに、12月は散々な結果で終わってしまった。
残業することを全社的に制限され、成績が下がった営業マンは大勢いるが、目標に遠く及ばない営業マンは少数だ。そして、俺はその少数派の一人に入ってしまった。
悪い成績をとった俺が悪いのだが、本社に呼び出され、森川専務から言い渡されたのは、1月の営業成績が目標を越えなかった場合、「腹を切れ!」というものだった。
新年早々、華との別れ話に始まり、腹切りをかけて1月の成績目標を残り3週間で達成しなければならない。
仕事も恋愛も、俺の新年は最悪なスタートを切ったのだった。
まずは、どうにかして成績を上げなければ。
残業が禁止されている以上、会社内でできる仕事は限られている。俺は、会社のノートPCを自宅に持ち帰って、自宅で残業することにしたのだが・・。
11-1 在宅ワーク
俺が住んでるアパートは、7.5帖の部屋とキッチンがあるだけの1Kだ。一人暮らしを始める時、風呂とトイレが別になっていて、クローゼットが大きく収納力があるところが気に入って、この部屋に決めた。
室内には、シングルベッドとその脇に小さなこたつ、反対側の壁側にローボードと少し大きめのテレビが置かれている。テレビでは、録画しておいた昔の洋画をつけている。何度も繰り返して観るうちに、ストーリーもセリフも覚えてしまった程のお気に入りの映画だ。
今は、この快適空間の中のこたつの上に会社から持ち帰ったノートPCが置かれ、床には、これまた会社から持ち帰ってきた顧客ファイルとデータ資料のファイルが散乱している。
俺は時折、洋画の主人公のセリフをシャドーイングしながら、なかなか完成しないプレゼン資料と悪戦苦闘していた。そこに、思わぬ邪魔が入った。
「なんとも非効率な事をしておるな」
声の主は女神様だ。
「そうですか?就業時間中の効率を考えたら、こうして自宅で資料を作っておく方がいいかなと思ったんですけどね」
言い返しながら、まだまだ完成には程遠いプレゼン資料のデータを入力していく。
「事前の準備を整えておくことは、効率につながるだろうよ。で、その仕事に何時間かけているのかな?」
時間?さて、アパートに帰って来てから殆どの時間だけど、どのくらいだろう?帰宅するのが19時頃。晩飯と風呂に入っている時間以外はPCと資料を広げていて、寝るのが0時頃だから、
「1日4時間くらいかな?」
俺の答えを聞いた女神様はあきれたように言った。
「1日4時間、週に20時間以上か。今のお主を見る限り、無駄な努力としか思えぬな」
「それにこの部屋、とても仕事ができる環境じゃないと思うぞ」
女神様は在宅ワークに反対なんだろうか?
「無駄な努力とは聞き捨てなりませんね。今どきの在宅ワークってこんなもんじゃないんですか?」
ため息混じりに女神様が答える。
「今のお主に残された時間は少ない。そうじゃなかったか?」
「・・・確かに、月末まであまり時間はないけど・・・」
まずは、今月の売り上げ目標を達成しなければいけない。
「行動を変えようとしたことは評価しよう。しかし、時間という資源は有限だ。今のお主は、時間というものの考え方において、魔王の足元にも及んでいないようだな」
「えっ!24時間年中無休の方が正しいっていうんですか⁉」
「違う!24時間年中無休は時間の使い方だ。そうではなくて、時間が持つ性質を理解しているかという話だ!」
「時間が持つ性質?」
女神様は何が言いたいんだろう?俺にどうしろって言うんだ?
11-2 命の時間
俺は資料作りの手を止め、女神様の言う時間が持つ性質について考えてみた。
「女神様が言っている時間が持つ性質って、過ぎた時間は変えられないってやつですか?1日が24時間であることは、誰にとっても等しく、成果が出ている人は時間の管理が優れていて、一方、成果が出ない人は浪費している時間が多いっていう、あれですよね」
時間術の本を思い出しながら、女神様に問いかけた。
「そうだ。時間というものは、誰にとっても平等に1日24時間である。そして、意思と関係なく時間は過ぎ去り、今という時間は、次の瞬間に過去となる。しかし、これは時間が持つ性質の一部でしかない」
「・・・一部でしかない?」
「お主の時間は、いつか必ず終わりが来る。人には時間の総量というものが定められていて、1日24時間ずつ減少し、最後にゼロとなる。つまり、死とは時間の総量を使い切った結果なのだ」
「時間の終わり、いわゆる寿命のことですよね。でも、寿命はどうしようもないのでは?」
「お主は本当にどうしようもないな」
女神様がさらにあきれたようだ。なんで?
「1日が24時間であることは、誰にも変えられない理だ。多忙を極める人々が、『時間がない』という言葉を発するのを聞いたことがあるだろう。自分でも言ったことがあるのではないか?では、その失った時間は、誰に奪われたのだ?どこで失くしたのだ?」
・・・う〜ん。忙しい時って、いろいろやってて、気が付いたら時間が結構過ぎてたって感じだからなぁ。誰かに奪われたとか、失くしたといわれてもピンとこないかなぁ。
「察しが悪い奴め!お主は、自分の時間が、誰かに奪われ続けていると思ったことはないのか?給与や対価を餌に、時間を必要以上に奪われていることに気づいておらぬのか?」
時間が奪われている?対価が発生していないサービス残業は、時間を奪われているということになるのか?
「女神様は俺に、在宅ワークをやめろと言っているのですか?」
「それは少し違う。在宅ワークそのものを否定しているのではない。時間を奪われることなく、自分の意志で使う分には正しい使い方だからだ。しかし、何度も言っているように1日は24時間しかないのだ。垂れ流すように使っては、無駄に奪われているのとな時だと言っているのです」
「もっと真剣に”今”という時間の使い道を考えなさい!奪われるのではなく、差し出すのでもない。自分の意志で自分の時間として使うのです」
時間を自分の意志で使う。これまで考えたことがなかった。だって、アドラー心理学の本で読んだ中に、ライフスタイルは自分の選択によって作られていると書いてあった。
今の俺は、過去の俺が選択してきた結果であり、自分の意思に従うもののはずだ。もちろん時間も自分の意思で使ってきたことになる。だが、女神様の話を聞いた後では、こう思ってしまう。
俺は、時間を奪われる選択をしてきたのではないか?・・・と。
11-3 元魔王の仕事の哲学
「三島、今夜、ある企業役員を接待するから付き合ってもらいたいんだが、時間はあるか?」
1月第3週目の週末の午後のことだった。
俺は、目標の成績の見込みが立たず、正直焦っている。正直、接待っていう気分ではなかった。
「今夜ですか・・。特に約束はありませんけど、俺、今月の売り上げがまだ足りなくて・・・」
断り文句をどう言おうか、言葉に詰まった。
「そんなことだろうと思ったから言ってるんだ。いいから今夜は付き合え。お前のためにもなるはずだ。田村も連れてこい。いいな!」
断り切れず、田村と一緒に参加する事になった。
黒木と俺、そして田村の3人で接待するのは、地元にある町工場の社長達だった。居酒屋に集まった顔ぶれは、どこかの商工会の寄り合いを思わせる雰囲気で、堅苦しさはなく、中には油汚れが付いた作業着姿の社長もいた。
中でも黒木は、普段から一緒に飲んでいる友人のような態度で接していた。なんだか、接待しているというよりも、ただの飲み会に思えてならない。
店の予約は19時から2時間。なんだか無駄な時間を使っているようにも思えてきた。
「なんだ。つまらなさそうだな?」
黒木が隣に座り、話しかけてきた。
「仕事だから、楽しいとかつまらないとかないですよ」
手元のウーロン茶を飲み干し、カラになったグラスを置いた。
「なんで今日、俺と田村を誘ったのか聞いていいですか?」
俺と田村の今月の状況と、達成できなかった時の処遇を知っているはずの黒木が、なぜこの飲み会に誘ったのかという疑問をぶつけてみた。
「そうか。三島、お前は今、仕事をしているつもりなんだな?嫌な事でも仕事だから我慢しなくては。そう思っているんだろうな」
何を当たり前のことを、と思ったけど、とりあえず黙って聞いておこう。
「俺もお前も、今夜はここに集まってくれた社長さんや役員の方々を接待しに来ている。接待ゴルフの時にも言ったが、接待は仕事だ。ということは、今も仕事をしているのは間違いではない」
黒木は自分が飲むハイボールと俺の分のウーロン茶のお代わりを注文して話を続けた。
「三島、お前にとって、仕事はつまらないものなのか?やりたいことではなくて、やらなくてはならないことなんだろうな」
「・・・黒木主任はどうなんですか?」
黒木の考え方を知るチャンスだ。俺は黒木に聞いてみた。
黒木はテーブルの上にある料理の中から、刺身の皿を手元に引き寄せ、マグロの赤身を一切れ口に運んだ。
「俺は仕事に限らず、すべてのことが楽しいぞ。女神から聞いていると思うが、俺は全てを支配したい。その目的のためならなんでもする。なんでもだ。俺は俺のためだけに生きると決めている。仕事もこの接待も、全ては俺のためにやっていることだ。どうだ。気持ちよさそうだろう」
「誤解するなよ。俺は誰かを不幸にしてもいいと思ってるわけじゃない。ただ、誰かを救おうなんて幻想に酔って動けなくなるより、自分の目的に集中する方がよっぽど建設的だと思ってるだけだ」
想像もしていなかった答えを聞かされて、何も返事ができなかった。というか、女神?黒木も女神様と話したことがあるのか?もしかして、前世の記憶ももっているのか?俺に女神様の話をするということは、俺が前世で異世界の勇者だったことも知っているのか?
黒木の言葉に、一気に頭が混乱してきた。
「ふん。三島が今、何に思い悩んでいるのかは知らないが、一ついいことを教えてやろう」
そう言うと黒木は、運ばれてきたハイボールをグラスの半分ほど飲み干した。
「今日、ここに集まってもらった社長や役員たちは、他人の時間を奪うことに長けた人たちだ。どういう意味か分かるか?」
「いえ。わかりません」
「収入を得るということは、金を支払う人がいるから成り立つ。人は価値を感じるものに金を支払うよなぁ。では、その価値を生み出しているものは何か?商品やサービスか?それを創造・製造している会社か?生産者か?俺の答えは”その全て”だ。そして、その全ては、時間を支配することによって価値を大きくしていく。会社経営を行う社長も役員も、生産者の時間、流通業者の時間、そして消費者の意思決定する時間までも奪い、利益を最大化していく。一見、小さな町工場の社長に見えても、その収益額をみると、手腕の物凄さを感じることができる。三島、お前は今、時間を奪われる側の人間として、時間を奪う側の人間を接待しているんだ。どうだ。面白いだろう」
そして黒木は最後にこう言った。
「三島、俺はなぁ、こういう他人の時間を奪う側の人間である社長や役員を、さらに上から奪う側になるつもりだ。それが、現代の魔王の支配だ。止めるつもりならかかってこい。受けてたってやる」
11-4 俺と華の関係
俺は、黒木が前世で異世界の魔王であったことの記憶を持っていることに驚いたが、打倒すべき邪悪な存在には思えなかった。
とりあえず、女神様に話が聞きたい。接待が終わった後、急いで帰宅したが、女神様は現れなかった。俺はこれから先、黒木とどのように向き合っていけばいいのか。
確かなことは、今の黒木は、俺を敵視しておらず、同じ時間を奪われる側の人間として見ているということだ。どちらかというと、仲間意識に近いものを持っているようにも感じる。敵対する必要はないのではないか?そんな風にも思えてくる。
(人の悩みは全て対人関係の悩みである。だったな。黒木との関係は、いったん置いといてよさそうだ)
翌日は、1月最後の週末だった。在宅ワークは女神様に効率が悪いと指摘されたからな。朝から近くのカフェにでも行くか。
土曜日の朝、俺はノートPCを持って、駅前まで向かい、カフェに入った。軽食とコーヒーを注文し、3時間ほど作業をした。
カフェのお客さんの中には、俺と同じようにノートPCを広げているスーツ姿のサラリーマンの姿もあった。
ただ、昼食時に近くなるにつれ、大勢のお客さんで騒がしくなったのと、店員さんの『まだいるの?』という視線に耐えられなくなってしまった。仕方がない。場所を変えよう。
次に向かったのは、ネットカフェ。ここは作業に適していた。空調もよく効いているし、静かだし、それに息抜きに本を読むこともできる。うっかり居眠りをしてしまったのは失敗だったかもしれないが。
トータルすると、集中して作業できた時間は5時間もなかったかもしれない。それでも自宅で1日いるよりも、集中して行えた実感があった。やはり、環境によって集中力が異なるものなんだな。明日は、朝からネットカフェに来てみよう。
ネットカフェを出た時、時間は18時を回ったところだった。カフェで軽食しか食べていなかったため、やたらと腹が減ってきた俺は、華と別れることになってから行きづらくなった定食屋桐谷の刺身定食が無性に食べたくなった。
(今は、ただの友人だ。ただの友人で、食事に行く一人の客だ)
華から「何しに来たの?」なんて言われやしないか。言われたらどうしよう。そんな不安を拭い去るように、ただの客の一人として入るだけだ、と自分に言い聞かせながら、定食屋桐谷へ向かった。
久しぶりの定食屋桐谷は満席で、店の前に列ができていた。どのくらい待つことになるやら。しかし、ここまで来たら刺身定食を食べてから帰りたい。俺は、ウェイティングシートに名前を書いて、列の一番後ろへと並んだ。
並んでいた時間は20分くらいだっただろうか。
「いらっしゃいませ~。お待たせしました。次のお客様、奥のカウンター席にどうぞー」
華の快活で良く通る声が店内に響いている。俺は、一番奥のカウンター席へ座り、カウンターの中のマスターで華の父親に刺身定食をごはん大盛りで注文した。
水が入ったグラスと水差しをもって来た華が、「三島さん、久しぶり。ずーっと来なかったけど、忙しいの?」と話しかけてきた。まったく。振った相手が働く店に平然といけるはずがないだろうに。それに両親だって、別れたことを知っているんじゃないのか?刺身定食の注文を受けるときのマスター(華の父親)の気まずそうな顔を見れば明らかに知ってそうだし。
「あぁ。相変わらずだよ。桐谷さんの方は?」
「私の方は順調よ」
店内は満員御礼。額に汗をにじませ、忙しそうにしている華は、俺と会話している余裕なんてなさそうだった。華はすぐにカウンターの奥の厨房に入っていった。
「刺身定食、お待ち!」
カウンター越しに刺身が盛られた皿とごはんを受け取った俺は、約2か月ぶりの刺身定食に舌鼓を打った。うまい!前の日に接待の時に食べた刺身と比べ物にならないくらい、おいしく感じた。やっぱり定食屋桐谷の刺身定食は最高だ!
俺が食べ終わるころになっても、店内は満員だった。さすがに外に並んでいた列はなくなっていたが、相変わらず忙しそうな華と会話できる気がしなかったので、早々にお会計を済ませ、帰宅することにした。
帰り道の途中、華との短い会話や、これまでのやり取りを思い出し、俺と華との関係は、ただの顔見知り、常連客と店員という関係になったのだと痛感した。付き合っていた時は、食事を終えて帰る途中、LINEでの会話が当たり前だった。そのLINEのトークルームは、1月2日を最後に更新されていない。
そういえば、何かの本に書いてあった。人は相手を愛す努力が必要だ。近くにいる関係を当たり前と思ってしまったら、感じる幸福感は増えていかない。愛は努力をもって育むものなのだ。と。
俺は、華との関係に愛を育む努力が足りなかったのかもしれない。華は、大國魂神社の参道で言った。「友達からやり直しましょう」と。やり直して、また、以前のような関係、そして努力し合える関係になれるだろうか。
俺は、自宅アパートが見えてきたところで、華にメッセージをLINEした。
「今日はごちそう様。お客さんが多い時間だからあまり話せなかったけど、今度は、お互いの近況を話す時間があるといいね。それじゃ、また今度」
華の返信はなかった。だが、焦らなくていい。今は、積み上げていけばいい。ただの友人から、また一歩ずつ。
さて、明日に備えて資料に目を通しておくか。
部屋に戻った俺は、手元の資料から、明日使う資料を選別してからベッドに横になった。
次回予告
目標の営業成績に到達できなければ、腹を切る約束をさせられている俺。
全社的に残業禁止となっているため、社外でサービス残業をする日々。
女神様に在宅ワークは集中して仕事ができる環境にないと指摘され、ネットカフェなどで残業をこなした。その結果、奇跡が・・・起きなかった。
2月は早々に本社に呼び出された。俺を待っていたのは・・・。
次回、第12話「再び魔王降臨」
更新予定:8月6日(水)
お楽しみに
コメント